WEBまちの日々ーみなとまち新潟

第37号



2010年1月末日、新潟市中央区の古町十字路にある書店、「北光社」が閉店します。創刊号から勝手に取材をさせていただき、冊子「180」ではコーナーまでつくっていただいたまちの日々。今回はまるごと、「まちの人」の北光社へのメッセージ特集です。
北光社
新潟市中央区古町通6番町991
1820年の創業当時は、水原町で「紅屋潤身堂(べにやじゅんしんどう)」という店名で化粧品や書籍を商っていた。古町に書店として開業したのは1898(明治31)年。北方文化の光たれという願いがこめられた店名「北光社」は、このときからのもの。
憧れの本屋
本の数が少なく、店番の年寄りがこたつから客をジロリと見る―。そんな本屋が当たり前の田舎町に生まれ育った子どもには「新潟の古町にある4階建ての本屋」は憧れだった。緑のブックカバーは一種の“ブランド”で、破れるとセロハンテープで補修していた。新潟市に住みはじめてから多少身近になったものの特別な存在に変わりはなく、売り場が2階に縮小されたときは、非常にさびしかったものだ。
ひょんなことから、その北光社を撮ることになり、店長の佐藤さんとお知り合いになれた(なくなる店を通じて新たな知り合いができるというのも面白い)。撮影中、幼い兄弟が絵本をお母さんと見ている光景に「この子たちが大きくなったとき、北光社はないのか」と、一瞬感傷的になった。だが、店内あちこちに仕掛けてある佐藤さんの人となりがうかがえるディスプレイを撮るうちに…。
 子どもたちが大きくなったとき、北光社はなくても“憧れ”はあるかもしれないと思えた。
坂本秀樹さん
●フォトグラファー
※今号の北光社の写真は坂本さんに撮影してもらいました。深謝!
 まちの日々の(確か)創刊号で、北光社のショーウインドウ話を書いたのはわたしです。いつも気になっていたんですよね、あの窓。いつかどこかで書きたいと思っていたことが叶えられて、幸せな気持ちになったことを覚えています。  古町で飲むときは、たいてい北光社で待ち合わせをしていました。待ち合わせ時間の15分前に到着して新刊の平積みをチェックしていると、レジに並んでいるのは飲み友達。そのまま本話になだれ込んで、2人で飲み会に遅れたこともあります。勢い本を持ったまま飲みに行くため、酒席で本の話題になることも多々。ついつい買い込みすぎて大荷物になったり、その場で買ったばかりの本を交換したり。閉店の報道を見て、そういえば古町で飲む回数が減ったことに気付きました。  友人知人の「高校時代は北光社で待ち合わせてデート」というエピソードをたくさん聞きました。そんな「まちの本屋さん」が消えてしまうのは本当に寂しい。元旦の午後、高速バスの窓から営業中の北光社を見て、いろいろなことを思い出しました。
北光社さん、長い間お疲れさまでした。
大橋純子さん
●まちの日々「新潟右往左往」執筆者
nite(ナイト)さん
●まちの日々「ニテヒナルモノ」執筆者
北光社は27年前新潟に来て以来、数え切れないほど足を踏み入れたけれど、クローズアップされてきたのはごく最近のこと。この10年はとんと本屋で時を過ごすことがなかったが、待ち合わせた遠来の人らが、面白がるのに気付いてはいた。どれもくせのある本好き。店長の佐藤さんとある席で会ってから、ぶらりと出かけて文庫の棚を一瞥し、こ、これは、と思った。本が出版社別でなく、著者別に並んでいる。改めて他の棚を見るとテーマ別のコーナーが方々にあり、同じ著者の同じ本が、違う棚にあったりした。本を並べる人の顔がふっと見え、彼らの興奮を得心した。絵の店で私は絵を並べる。人が来て絵に会い、時に求めていく。そうした人と絵の水入らずの邂逅のため「並べる」行為があり、気付かれなくていいが、ひそかな喜びが、それでもそこにはある。ああ北光社も同じ喜びの流れる本屋なんだなと低圧の交流静電気を覚えた。老舗の光は古町十字路から消えるけれど、この静電気は古きこの街に、帯電し続けてほしい。
大倉 宏さん
●まちの日々「旅に入る」執筆者

本屋の子どもに生まれ育った私にとって北光社には2つの印象があります。
子ども時代、4階立て、エレベーターのある書店のインパクトは余りにも強烈で、小学校の卒業文集に将来の夢は英進堂ビルを建てることと書くほどの衝撃とあこがれを抱きました。
もうひとつは、ここ数年の売り場展開に遭遇し、本屋としてショックを受けたこと。
商品を管理するシステムよりも、担当者の人柄や本に対する思いの方が前面に出ていることに置いて、英進堂のライバルであり、同志であると思っています。
私の独断的な価値基準で“いい店”と言い切れるのは最近では北光社だけでした。
ヒトが作る仕事を意識させてくれる書店がこのまま停止してしまうと私は永遠に勝てなくなり、くやしい。
諸橋武司さん
●本の店 英進堂
http://eishindo.blog88.fc2.com/

 2010年1月末日、古町ーー北光社が閉店。まちの本屋がひとつ無くなる。
古町CALLINGーー今、まちが叫んでいる。金太郎アメのような街になりたくないとでも。
あなたは? 気ままに本を立読みし、なぜか絶版の本ばかり注文する? 北光社のお客。ひょんなコトから店長と知合い約2年。そんな日の浅い身分。これもまた出会い。少しお付き合いを。
北光社ーーオシャレな店内? 充実な品揃え? 戦略的なポップさえも見当たらない本屋。では何が? ひと言「本の並べ方」である。永く共に継がれ創(つく)られた仕事。今、多くの本屋から無くなろうとしている。ただ置くのではない大切な仕事。流行などだけでは生まれないまちの本屋の棚たち。それは毎日が同じようで同じではないまちの日々のように一冊一冊違う。
『北国に文化の光を』灯した北光社。ありがとう。この光と共に今日もこのまちを歩く。

広田 徹さん
●AZAZ-NIIGATA管理人
 http://azaz-niigata.blogspot.com/

 昨年10月の「にいがた空艸舎(くうそうしゃ)」で、2日間限りの「空艸書店(くうそうしょてん)」を北光社の佐藤店長に開いていただきました。「仕事」をテーマにしたイベントながら、彼の選書はそれに留まらず、たった8畳の空間が無限の世界へ繋がる入り口となりました。その時の挨拶文にはこう書かれています。「ここに集まった本達は何も特別なものではなく、普通に流通し、普段お店で取り扱っているものばかりです。その同じ本が、置き方を少し変えただけで違う表情を見せたり、昔々に書かれた本が、時間も空間も飛び越えて、あなたの大切な一冊になる。そんな場面をイメージしながら、今日は空艸書店としてこの場所にやって来ました。」どこにでもあった「まちの本屋さん」を愛し、人生のかけがえのない一冊となるかもしれない「本」との出合いを、その棚づくりで演出する。空艸舎の趣旨ともつながる「新しく作るのではなく、既にあるものを組み立てることで、今までとは違う視点が生まれ、日常が楽しいものになったら」という佐藤さんの想いを、創られた棚から教わったように思います。場は変っても北光社の志はきっと我々の中に生き続け、また芽吹いていくことでしょう。
亀貝太治さん
●にいがた空艸舎
 http://kuu-so-sha.com/staff.html

北光社まで徒歩10分
 2007年冬、粉雪が舞い、海からの風が強くふく日だった。仕事の関係で、新潟転勤となった私は住む場所を探すために、生まれてはじめて訪れたこの街を歩いていた。暗い街だなというのが、その時抱いた印象であった。北光社と本町市場があることを理由に、ただそれだけを理由に、今のマンションに居を構えることを決めた。
車を持たない私たち家族にとって、休みの日の過ごし方は歩くことであった。見知らぬ土地を歩くことによって、自分達の足で歩くことによって、街の風景は少しずつ馴染みのものになってゆき、それと同時に余所者であった私たちも新潟にとけこんでいった。 北光社を通じてこの街を知り、人間関係が広がっていった。北光社の閉店してしまった後の古町は、私たち家族にとってそれ以前とは異なった街になってしまうだろう。
澤山建史さん
●ジュンク堂書店新潟店

片思いの恋人
 北光社(古町本店)の本棚と向き合っている時間が好きだった。手に余るほど大きくはなく、すぐに飽きるほど小さくもない居心地の良い本屋。背表紙を目で追い、手にしてページを捲るうちに、書店員が配列した本当の意図を発見できることが嬉しかった。いつも僕のための本棚で、いつも初めて見る新鮮な本棚だった。
10代後半の僕は、時間があれば書店、レコード店、映画館を巡り、NEXT21の最上階で新潟を眺める日々を過ごしていた。北光社は古町十字路にあるから、ついつい入ってしまう。どんなに落ち込んでいても、様々な書体が意匠された緑青のブックカバーを目にすると、少しだけ救われた気分になった。
そんな北光社に頻繁に通うようになってから約15年。縁あってアルバイトをしたこともあった。全てが思い出に変わることが寂しい。
湯浅健次郎さん
●會津八一記念館学芸員

 昨年、図書館の先生に言われた言葉を思い出す。「最近の北光社さんはいいよね」、他にも数人の人から同じようなことを言われた。自分の店が褒められたわけではないのに、何故かうれしく思う。ちゃんとお店を見ている人がいて安心する。
本の入荷はオートマチック! 売れたお店に売れた数だけ入ってくる、ベストセラーの入荷の少ない“町の本屋”は売れている本以外で棚創りをしなければならない。できる人がいればだが?
北光社の佐藤店長はまだ若い、しかし知識の引き出しの多さには頭が下がる、棚創りができる。歴代の店長から受け継ぎながら北光社を守ってきたはずだ。そんな本の話ができる同志がまた一人いなくなる。
廣木正廣さん
●文信堂書店

 
北光、と書いたとき、北と書き、つぎに光と書いて、それを見ている目が、きたのひかり、と読んだ。
north light と頭のどこかが言った。
きたのひかりは、いつも焦がれている新潟の空に見ているあかるさだった。
north light は今はまだ知らないけれどいつか見たい透んだ明るい光だと思った。

北光社はそんな北の光を名前に抱えていたのだなあと思っていたら、気持ちは柾谷小路を、古町の角を目指して歩いていた。

北光と繰り返し書くうちに、北光社でわたしはOさんと何度も待ち合わせをしたことを思い出した。
今、わたしには新潟に家族と言っていいような人々がいる。彼らに出会う前は、北光社で見つけた本が新潟の「中」へ誘ってくれた。安吾の本を新しく買い直したのもここだった。
『新潟県の歴史散歩』を買って、夜遅くまで新潟島の地図と見比べていた。

『古老百話』を買って、そこに収められた人々の口から話された言葉に引かれるように下を巡り、『北国雪譜』を読んで、今ここではない雪の新潟の景色を雪の日の新潟島を歩きながら想像した。
北光社が、新潟をまだ深く知らないわたしの、新潟への入り口の場所だった。
やがて佐藤さんと知り合って、新潟絵屋の展示を店内に引っ越しさせて小さな展示をさせてもらったり、携帯電話を持たない彼を店に誘いに行って本町の案山子で飲んだことも忘れられない。
Yと新潟で最初に会った時も北光社で待ち合わせをした。
Oさんと時間になっても現れないYを待った。まだかなと言いながら、店内をひとめぐりすると、ふたりとも本を買ってしまい、早く来てもらわないと、ご飯を食べるお金がなくなってしまうなんて笑ったことも思い出した。思い出して、北光とさらにいくつも書いた。この思い出を留められる字のかたちが目の前に出て来るまで書いた。

北の光が、たくさんの人の心の内にいつまでも残っていくことを願っています。

華雪さん
●書家・新潟愛好者

 「まちの日々」の記念すべき創刊号で北光社をとりあげてもらったので、一〇〇〇号でもう一度と思っていたんですが(笑)、かなわない話となりました。
まちの魅力は、住む人がどれだけそのまちに誇りを持てるかで決まるのではないでしょうか。よそから人を呼ぶことを目的にせず、まず自分たちが住みたいまちを考える。住む人が好きなまちは、よその人にとっても魅力的でしょう。だから、「まちの日々」のまちを楽しむという視線はいいなあと思います。
北光社はなくなりますが、これまで育ててくれたまちにどうしたら貢献できるか考え続けて、これからも取り組んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

北光社 社長 斎藤幸成さん
これが創刊号の記事。横長のウインドウを再現しています。書き手は大橋さん
 閉店する北光社に寄せられたお客さんのメッセージを読んで、ここを単に本を売り買いする場所ではなく生活の一部として思っている方がたくさんいらっしゃるのがわかりました。僕自身は店づくりを通していろんな人とつながってきたけど、全然意識していなかった部分で広がりがうまれているんですよね。あらためて、すごい場所で働いてたんだなー、と。 
 哀しくないと言えば嘘ですけど。でも、ここに関わった人たちのほんのちょっとした気持ちのひとつひとつが、北光社が灯した「光」のかけらなんじゃないか・・・って思います。

北光社 店長 佐藤雄一さん

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