| 第34号 |
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| 今朝も雨の音で目が覚めた。雨の音は美しい。 この7月、新潟はずいぶん雨に見舞われた。七夕も雨で天の川は見えなかった。その夕刻十日町に急用で向かっていたらすさまじい豪雨に会い、最速ワイパーにしても前が見えず、気づくとアクセルを踏み込んでいるのにみるみる減速し、高速道路上で車が停まってしまった。路肩に寄せ(そんな時にかぎって東京の友人からのんきな電話が入ったりする。ラジオでは鳩山民主党代表の献金問題のニュースが流れてました)、雨脚が幾分弱まる頃やっと再始動でき、息絶え絶えな車を時速60キロくらいでだましだまし走らせ、長岡インターまでようやく行き着き最寄りのガソリンスタンドで見てもらうと要修理とのこと(当然ですが)。 代車の用意されてある不思議なスタンドで、その代車マツダキャロルを操縦し2時間遅れで目的地に着く。数日後そのキャロルで車を引き取りに長岡に向かう途次も降り出しそうな空。車が別だと見慣れた景色も違って見えるのが面白い。かわいらしいハンドルを手に、空と田んぼとフェンスを這う蔦や田中の集落の木々を見ていたら「雲は幹と枝から放たれた樹、樹は地上に縛りつけられた雲」とだしぬけに思った。水の気配は地の緑をかぎりなく幻想的にする。長岡ー新潟間を走ると弥彦三山がアコーディオンのじゃばらみたいに伸びたり縮んだりするが、一番伸び切るとき山々は大きさの違う3つの乳房に見える。雲色に空が唇をそめ、ごくごく大地の緑の乳を吸っている。 水と土の芸術祭の開会式のあとのバスツアーに参加した日も雨。蓮の咲く佐潟に浮かぶ無人の船に木が生えている。雲の子をつかまえてつないだみたい。空は貪婪に乳を吸い続けていた。角田山麓ではアイルランドの作家が泥田のような場所に魔法の木の城を制作中。説明を聞く間も雨はぽつぽつ落ちて、トンネルを抜けて山と海の迫る五箇浜の夢見るように魅力的な集落でちょっと薄日が差した。それからまた雨。味方の笹川邸、アグリパークのからからと回る不思議な風車、木津の校舎のフロッタージュの展示などを見てまわる間、バスの窓の外に広がる雨に煙る新潟平野はまるで雨期の東南アジアの風景のよう。いつもは見えない田んぼの間を流れる水路に、不思議に目が吸い寄せられた。最後に行った亀田の浄水場跡でも小雨が続いていたが、駐車場からの坂を急ぎ足で下りていくと、使われなくなった浄水池の上から水があふれてコンクリートの壁を伝い、機械の箱やドアの上の小廂や地面にばちゃばちゃそそいでいる。なんだか突然わけのわからぬ興奮に襲われた。作家の遠藤利克さんが水の真下に入って全身びしょぬれで写真を撮られている。水は屋根からあふれ、そそぎ、あふれ、そそぎ、びしょびしょびしょびしょと建物を地面を見ている私たちの心を、容赦なく、残酷に濡らす。雨の中の雨。雨の中の雨の中の雨。目の中のエンジンがみるみる減速し、ずぶ濡れ豪雨の路肩に停まる。ツアーはその後栗の木排水機場の車のフロントガラスを旧水面に敷き詰めた作品を見て新潟駅に着いて散会になったが、ガイド役を勤めた北川フラムさんの脇を抜け、車を下りようとして、濡れたあの世界の真下に再始動のすべなく佇み続ける孤独な目を感じた。 浮き草のような心の揺れが、今もやまない。 |
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